昔、三瀬にもさまざまの事がありました。
お金もちの兄さんが、仕事もいやだし、お伊勢まいりにでもと思って家を出ました。
あちらこちらを見物しながら何日もかかってお伊勢様の近くにくると、若い女が、どこまで行くのですか、といわれ私はお伊勢まいりです。あなたはといったら私も一しょにつれていって下さいといわれて仕方なく一しょに行きました。
見れば、見るほどよい女でした。若い兄さんはこんな人をおよめにしたらと心の中で思ったけれど、どこの人やらわからないし、ただ伊勢様をおがんで出ました。
するとこの女の人があなたはどちらですといわれて私は山形の三瀬です。とおしえました。
長々おせわになりました、私はここからわかれますからといって一本の「オウギ」をわたしました。家にかえってこれを見たら、国は十六七の国、うてばくわれるうたばくわれの町、はればくわれるはらぬばくわれぬ町、おとといからのきょやき町、ここを通りおしこみの前の千年橋をわたり、子の子のへむといううちです。たづねてきたら、いつでもむこにしますとかいてありました。
この男もこれをはんずることが出来ないので、ある(ぼうさん)に行って何んということですかとききました。すると、おぼうさんは、十六七とは、わかさの国、うてばくわれるとは、かじ町、はればくはれるとは、からかさ町、おとといからのきょやき町とは、かわらやき町、おしこみの前の千年橋とは少し奥に石橋がある子の子のえむとは、まごえむ、とおしえてくれたので、若者ここをたづねて行きました。
お伊勢まいりも出来たし、むこでもと話しても、しらぬかほしているので、おやたちは、大そうしんぱいしました。ある天気のよい日、むすめが外をながめていると三瀬からきたと、いわれたので、この話をおやたちにきかせ、この家のむこさんとなってたのしく暮したという話です。
お伊勢まいりは、有りがたい。
(寄稿 佐藤多津恵)