むかし、いまの三瀬駅の裏山あたりに、りょうがん寺というお寺があった頃のお話しです。
その頃、このあたりには、きゅうえもんという家と、よそぅえもんという家があるばかりで、やせた棚田が、小さく扇型に区切られて降矢川まで続き、向い山の菖蒲田の沢には、背丈をこすほどのすすきが生いしげり、さむざむとしたさみしいところでした。
ここのりょうがん寺に、とてもとんちのよい小僧がおりました。今朝も、小僧は、和尚さまにいいいつけられて、きゅうえもんという家へがっき(注1)に出かけました。
お寺の山門から見える庚申塚の一本榎のあたりは、まだ、うす暗く、道ばたの枯すすきの穂先が妙にほの白く見え、中秋の朝明けは、灰色がかった空模様でした。
ふと、見ると、きつねがいっしょうけんめいに化けていました。もともと利巧な小僧には、どういうものか、すぐそれとわかりました。
この頃、菖蒲田の沢には、悪知恵のはたらくきつねが棲んでいて、よく野良に出る村人をだましていました。この秋の刈り入れ頃も、杭にかけておいたてんごの中のわっぱのご飯をすっかり食いあらされたとか、なまぐさものをとられたとか、村中のひょうばんになっていました。
「菖蒲田の沢のきつねだのー。よーし、ひとつばかえしてやれ。」
と小僧は、いたずら気を出して、
「きつね、きつね。おめは、それで化げたかんじょうだろども、おっぽみなみぇんぞー。」
と大声でどなりました。
きつねは、びっくりしてしまいました。ほんとうに化け方が、まずいのかと思い、きょろきょろとまわりを見廻しながら、すっかりあわててしまいました。小僧は、おかしさをこらえながら、持っていた一本の扇を開き、差も、大事なもののようにして、
「おれだば、こな一本あっど、何さでも化げらえる。こな、欲しくねーが。」といって、扇をひらひらさせて見せました。
化け方がまずいといわれて、化けることにすっかり自信を失ったきつねは、小僧の持っている扇が欲しくてたまりません。
「こぼちゃ、こぼちゃ・そな、ゆずてくれちゃ。」と頼みこみ、ついには、何でも望みのものをやるから、とりかえっこしてもらいたい……。と願いました。
小僧は、村人に迷惑をあたえているこのきつねをこらしめるよい機会だと思い、ひとつの計略を考え、わざとまじめな顔をしながら、
「そげ欲しなだば、宝生の球ど、しけるがー。」
といい、きつねの最も大切なものとされている宝生の球を、一本の扇ととりかえました。
きつねは、天祖天照大神が天孫降臨の祈り、稲荷をくわえて御前立をした功により、正一体稲荷大明神として、変化自在の宝生の球をさずかっているものとされ、その宝生の球があるのでした。
まんまと、とんちによりきつねから宝生の球をとりあげた小僧は、これで、もう菖蒲田の沢のきつねも、人をばかすこともできなくなったぞ……。と思い、すっかり得意になりました。
きゅうえもんという家でお経を読みながらも、ふところに入れてある宝生の球が気になり、妙にそわそわする小僧のようすを、家の人たちも変に思いました。
「りょうがん寺のこぼ、きつねがら宝生の球とりあげだどや。」
といううわさが、どこからともなく村中にひろまりました。和尚さまもそのうわさを聞き、なんとかして宝生の球を見たいものだ……。と思いましたが、小僧は、自分の部屋にかくして誰にも見せませんでした。
同じ頃、村人たちは、菖蒲田の沢のきつねが、扇をくわえている姿をたびたびみかけました。そして、村人たちは、「あの悪ぎつねめ、扇などくえで、まだどこがの酒のみでもだまがしたなだのー。」
と悪口をいいました。それを聞いたきつねは、はじめて小僧にだまされたことを知り、口悔しくてなりません。なんとかして、小僧から宝生の球をとりかえそうと考えました。
こずえの柿の実が、晩秋のうすい陽ざしに映え、山門の杏の黄ばんだ葉が、音もなく敷石の上に舞い散るある日の午後。お寺に、ふろしき包を背負った小僧のお母さんがたずねてきました。小僧が出てみると、お母さんは、
「こぼや、おめ、珍しいものたげっだでけねが……。」
と、菖蒲田の沢のきつねから宝生の球をとったうわさを聞き、冥土のみやげにぜひ見たいものだと思い、わざわざたずねてきたことを、くどくどというのでした。
小僧は、そんなものは無いのだ……。とかたくことわりましたが、側で和尚さまからも、親孝行のためだから……。といわれ、しぶしぶとり出しお母さんにだけ見せました。お母さんは、小僧が手にぎっしりとにぎったまま見せるので、
「手はなして、もっとよぐ見せでくれちゃ。」
と眼をしばたかせながら、小僧の側ににじり寄って頼みこみました。
小僧も、歳をとったお母さんの願いなので、つい可哀そうになり、手を離して見せました。そのとたん、お母さんは、
「こぼ、このじょは、よぐもだましたのー。宝生の球どごとさきたなだ。おれのとんちがら負げだろー。アハ、ハ、ハ、ハ、……。」
ときつねの姿を現わし、大声で笑いながらゆくえをくらましてしまいました。
小僧は見せてやるように……。とすすめた和尚さまにまでくってかかり、口悔しがりましたが、いまさらどうにもなりません。ようし、もう一度とんちくたべだ……。と小僧は。白もち(注2)をつくって顔にぬりつけ、尺杖をもって菖蒲田の沢に出かけました。そして大きな声で、
「おれは山の神だぞ。菖蒲田の沢のきつね、いだば出てこーい。」
と呼びたてました。きつねは、山の神さまの許しを得てこの沢に棲んでいるのですから、
「おえ、おえ。」
と返事しながら出てきて、山の神になりすませている小僧の前でかしこまりました。
小僧は、おごそかにいいました。
「おめは、このじょ、りょうがん寺のこぼから宝生の球とたえだでねが。」
とにらみつけながら、
「そげだ宝生の球もたががねよだ野きつねは、この沢さおぐごとできねさげのー。」
と叱りました。きつねは、すっかりおそれ入ってしまい、
「宝生の球は、いちどはとらえだども、まだとりげしたさげ、そうかゆるしてくれちゃ」
と願いましたが、小僧は、
「そげだどとはうそだろー。ほんとえあんなだば、こごさ出してみせろ。」
と更にいいました。
きつねは、ますますおそれ入ってしまい、なんとかして山の神さまのお許しを得たいものと思い、おそるおそる宝生の球を小僧の前に差し出しました。
さっ……。とそれをとりあげた小僧は、
「アハ、ハ、ハ、ハ、……。おれは、山の神でもなんでもね。やっぱりおれのとんちがら負げだろー。」と大声で笑いました。
宝生の球をとられた菖蒲田の沢のきつねは、それ以来化けることができなくなってしまいました。がっかりして、ひと冬のうちにすっかり老いこんでしまったきつねが、春さきに、道ばたのばんけなどを食べている姿を時おりみかけましたが、その後、村人たちにも忘れられてしまいました。
(注1)がっき・主な檀徒の家の精進日(命日)に、朝早くお経を上げにゆくこと。
(注2)白もち・うるち米を水にひたし、臼でついてつくった米の粉のこと。
(原話 佐藤多津恵/再話 佐藤広雄/寄稿 佐藤多津恵)