1.八乎止女神社(やおとめじんじゃ)
創建は明応年間(1492~1501)とされており、蜂子皇子上陸の地、羽黒山の奥の院と伝えられる。祭神は由良比賣命とされているが、玉姫命との説あり。

2.ニホンユビナガコウモリ生息地
 県指定天然記念物に指定されている

3.葉山薬師堂跡
 羽山神福寺・薬師堂は古くは八森山にあったが、江戸時代に移された。

4.鮭孵化場跡
 白幡彌兵ェ翁が県下にさきがけ、鮭の孵化事業を行った。

5.開港修道之辞(石碑)
 白幡彌兵ェと白幡伊蔵を特に讃えて、時の県知事である馬淵鋭太郎が碑文を書いたもの。

6.警報台(監視所)跡
 旗を立てて三瀬住民に気象情報を知らせました。

7.琴平神社・大砲場跡
 琴平岩の最上部にあった。大砲は江戸時代末期の黒船来航時に設置された。

8.白幡彌兵ェ翁顕彰碑
 県水産界の発展のため指導的役割を果たした。碑文は松本十郎が書いた。

9.笠取山馬頭観音
 道祖神

10.大炊楯跡
 現在の中学校の敷地になっている。三瀬にあった3つの楯の1つである。

11.大庄屋墓地
 相馬又右ェ門・又兵衛親子、松浦治五郎の墓地。特に又兵衛・治五郎は三瀬住民のために働き、非業の死を遂げており、昭和5年(1930)以降、毎年供養祭を行っている。

12.大慈山 了願寺
 曹洞宗、本尊は釈迦牟尼仏、本寺正法寺。慶長10年(1605)羽黒山住僧・慶存が創建した。

13.定福(浄福)楯跡
 定福稲荷の上方にある。

14.金澤山潮音寺
 曹洞宗、本尊観世音菩薩、本寺正法寺。応仁2年(1468)正法寺 4世 通岩祐円が創建した。

15.高龍山 定福院
 真言宗 豊山派 本尊は聖徳太子。本寺 湯田川 長福寺。天文3年(1534)周英法印が創建。

16.出戸(清水)
 良質の清水が湧いている。羽越線工事の頃、飯場の用水として使用した

17.木安寺・古墳跡
 木谷地沢の入り口にある。木安寺の住職の墓と思われる。

18.八森山里平古墳跡
 遺物は何も発見されていない

19.茶飲み清水
 良質の清水が湧いている。茶を立てて客人を接待した。

20.処刑場跡
 楯の山に白があった頃の処刑場跡。現在は一地区の集会場敷地。

21.白林山松音院
 曹洞宗、本尊は延命地蔵菩薩。本寺は正法寺。寛永19年(1642)正法寺13世籌山淳察が創建。

22.白山神社
 応仁年間(1467~69) 加賀の国の一の宮、白山比咩神社から勧請したと伝えられる。
 祭神は菊理姫命、伊邪那岐命、伊邪那美命。

23.瀬渓山 長勝寺
 曹洞宗、本尊は釈迦牟尼仏。本寺は正法寺。永禄年間(1558~1570)11世財庵善梁和尚が創建した。

24.神福寺・薬師堂跡
 羽山神福寺・薬師堂があったところ。義経記には平泉に向かう義経一行が、大水のために2・3日逗留すと記されている。江戸時代になって葉山に移された。

25.山内権現(清水)跡
 小波渡の開村は佐藤庄司基晴の遺言により、孫信通が開いたという説があり、その前も年間内山に住んだとされているが、信通は父継信が源平合戦の戦功により、信夫郡を安堵(土地所有公認)されているんで、小波渡の開村は田川太郎の子孫ではないかと思われる。

26.二口馬頭観音
 道祖神。昔は山五十川道の峠にあったと言われている。

27.藤倉の大杉
 市指定天然記念物である。この杉も白幡吉太郎が植えたとされている。

28.水無神社・熊谷様
 大永元年(1521)飛騨国一の宮水無神社から勧請したと伝えられている。

29.五輪(無縫塔)
 楯の山の城主の墓と思われる。五輪塔ではなく無縫塔一基あるのみ。御林ではないかとの説あり。

30.庚申塚(姥ふところ)
 道祖神(猿田彦命)である。昔は庚申講の祭りをやっていたが現在は無い。

31.楯の山(楯)まや跡
 戦国時代、武藤の尾浦場支城としてあった。屋敷、まや、見張り台、堀切などの跡が残っている。水無の加藤・斎藤・鈴木はその城主の家臣団と伝えられている。

32.一里塚跡
 道路に一里毎に塚を盛り、榎木か松を植え休み石を置き、旅人の里丁の目安とした。

33.降矢神社
 嘉永7年(1854)の「疱瘡神造替之図」に大工棟梁大岩川後藤藤吉、志願白幡定治・三瀬村石塚備後頭と記されている。その奉賀帳をみると新潟県北部から西田川一円にわたって信者が多くいたことがわかる。

34.御林遺跡
 古代石器(佐藤貞直氏所蔵)が出土している。もっとも古いものは旧石器時代(1万2~3千年前)の石器が3点あった。その頃から三瀬に人が住んでいたと推測できる。

35.鍋倉山宮泉寺跡
 妙達上人が創建したと伝えられており、現在は矢引きにある。同上人は天慶年間(938~47)に善宝寺を創建したとされている。

36.旗本台遺跡
 縄文時代の石器が出土した。戦国時代は武藤氏の家臣・菅沢氏が館を構えていた。

37.伊藤宣成公顕彰碑
 父・宣義は清川の大庄屋であったが、慶応3年(1867)三瀬の大庄屋となり、戊辰戦争後は第4大区4小区の区長となり、明治21年(1888)豊浦村の成立とともに初代村長となった。秋野庸彦が碑文を書いた。

38.藏田坂
 笠取峠の登り口

39.気比神社
 
40.サカキ・ウラジロガシ
 市指定天然記念物。気比神社拝殿の右に植えられている。

41.宮の前遺跡・古墳跡
 延元2年(1337)、北朝方・高師泰軍に敗れ、氣比神宮は焼き払われ、三瀬に落居し、越前敦賀から気比大権現を勧請した石塚一族の墓地である。円形古墳2基と最上少将義光公の碑がある。